夢と希望あふれる
キラキラの職業訓練校へ
とはほど遠い、シーン……と水を打ったような教室内。俺は一番後ろの席だったので全員が見渡せた。プログラミングの教室ってピチピチキャピキャピランランランな女子が大半を占めていると思っていたが、「すん…」とした生気の無いおば…もとい淑女が多かった。男性陣は少なく「しん…」という感じで、まるでこの世の終わりを静かに待つ司祭のように組んだ手に額をつけ瞑想している者もいた。男女共に20代少なめ。30代が最も多く40代、50代が少なめという構成。まぁ以前通った訓練校も最初はみんな静かだったしそのうち打ち解けてワイワイなるだろう。失業者が集まってんだから30代中心になるのは当たり前か、俺も35歳位の時に通ってたわけだし。
今は緊張して黙っているみんなが卒業する頃には新たなスキルと良い思い出を持ってここを出発できれば良いな。
思いやりの大切さと女社会の厳しさを知る
最初はオリエンテーリング。自己紹介とスピーチを順番にやっていった。以前通った訓練校でも当番制のスピーチがあったし、その後就職した保険会社でも毎朝やっていた。最初は緊張するがスピーチは良い制度だ。その人の人となりがわかって接しやすくなるし、何より話し方の訓練になる。スピーチするからにはおもしろい話ができればいいがそんなに毎回毎回すべらない話をブチかませる剛の者は一般人にはいないので基本的には他人が聞いて役に立つ話をすることになる。実はスピーチの一番大切なポイントはココ。強制的に他者への思いやり目線で話を組み立てねばならないこと。(この話がみんなの役に立ちますように!)と思いながら話すだけで人は変わる。他人のことなんてちょっと無神経な人であれば一生気にすることなんてないし、思いやり目線で見ることなんてないのである。そこをちょっと立ち止まり、他人のために考える機会を与えてくれるスピーチは本当に良い制度だと思う。
保険会社にいた頃は休日に旅行した人は必ずお土産を買ってきてくれたり、昼下がりの脳が疲れてきたベストタイミングに甘いものを配ってくれる人もいた。こないだのお返しですパターンもある。思いやりの連鎖。それまでヘヴィメタルやギャングスタヒップホップを聴き世の中を呪い荒廃していた俺の心にその光景はまばゆく映り、なんて素晴らしいんだ、神様ありがとう人間は美しかった!ヒューマンイズビューティフルだと改心しその後の人生で自分自身真似していくことになった。たとえば旅行先でのことを考えてみてほしい。楽しい、楽しい、楽しいであっという間に一日が終わる。「お土産買うの忘れてた!」なんて当たり前、旅先での非日常は時計壊れてんじゃねぇのかと思うくらい光速で過ぎていくものだ。それは何も悪いことじゃない。だがお土産を買ってきてくれる人は旅先でも俺たちのことをふと思い出して(何がみんなの口に合うだろう?)と悩みながら時間と足とお金を使ってお土産屋さんに立ち寄ってくれているのだ。それこそが人としての「徳」であり「格」であろう。そんな人に、私はなりたい。
保険会社での思いやりラリー略して思いラリーは、それまでブルーカラーの仕事しかしたことのなかった俺にとって衝撃だった。ハッキリ言うが、野郎ばかりの現場仕事でそんなこと絶対に無い。たまに事務員のおばちゃんや育ちの良い稀少種だけがお土産を買ってきてくれたりするがレアケースである。買ってきたところで誰もお返ししないから消滅していくのだ。「あぁ、ありがと。ポリポリ」と、お前は殿様か?と言いたくなるが男が多い職場はどこもそんな感じである。お返しなんて絶対に無い。みんな毎月特殊な銀行にお金を預けているのでお返しをする余裕が無いのである。あなたの会社にもいるでしょう?お給料日に「さぁて今月こそマルハン銀行からお金をおろすぞ!」と笑顔で出陣し翌日「さらに預けてきた…」と青白い顔で虫の息になっている人が。そんな人に他者へ対する思いやりを期待するのがそもそもの間違いであるのだが、そうでなくても大半の男は目くばせというか、気遣いが弱い。これは生物学的な違いなのだろうか?その辺の話を複数の女性にしたところ驚いたことに異口同音で、
「ウチらの世界ではお返しや気遣いができない奴はハブられていくんだよ。女社会の同調圧力なめんなよ?」
ということであった。なんか知らんけどすいませんでした。
策士策に溺れる(2回目)
スピーチは思いやり。職場のチームメイトのために役に立つネタをメモっておき文章を考え帰りの車内で一通り練習して発表する素晴らしい仕組み。でも俺はいつも人の役に立つことより笑いを取ることに重点を置いてやってきた。朝ひと笑いしてテンション上げて仕事に向かってもらえればこれほど幸せなことはない。それは俺なりの思いやりだった。その代わり絶対にすべれないプレッシャーはすごかったが。
さぁ訓練校でもやってきました一発目のスピーチ。「え?自己紹介とスピーチ?どうしよういきなり?」みんなザワザワしているが普通あるやろ自己紹介。いきなりじゃねぇやろ、今まで働いてたとこでも最初あったやろ、準備しとけよ大人ならと。そういうところが今無職の無職たるゆえんじゃない?と思いつつ皆のスピーチを拝聴。ほとんどの人が自己紹介と軽い趣味のみ。そりゃそうだよね準備してなかったなら仕方ないよねウンウンとにこやかにしつつも俺の番はべしゃりのプロとしてブチかましたった。見事笑いも取りつつ自己紹介を終え着席。だって笑いのないスピーチなんて地獄だもんね。これでなんかひょうきんなおっさんおるなということでみんなが気軽に話しかけてくれるようになるといいな。
のちに聞いた話だが、このとき唯一の20代男子の子が(自己紹介しつつ笑いを取るなんてこの人はなんて凄い人だ…!!くそっ!話しかけたいが俺なんかが話しかけてもいいのだろうかッッ……!!!)と委縮していたらしい。その子と初めて話したのは訓練校も折り返しの頃でした。完全に逆効果でした。
人と人との美しいつながり、一刀両断
全員のスピーチも無事終わりいよいよ教室が始動していく。ここから6ヶ月間、このクラスメイトと共に助け合い切磋琢磨していくのだ。10年以上前にパソコンの訓練校に通ったことがあるとはいえ保険業でOfficeは使っていたがWebの知識は習ったっきりで全く使っていない。ここにいるみんなも初心者だらけだろうか?俺も変わらない。以前習ったこともほとんど覚えてないし、新たな気持ちでイチから学んでいこう。せっかくのこの機会、1秒たりとも無駄にせず死ぬ気で勉強して旅につなげよう。今は静かなこの教室も毎朝のみんなのスピーチで「趣味一緒ですね」とか「地元近いですね」とか「スピーチに出てきたあのレストラン美味しいですよね!」とか言葉から言葉、人から人になっていき明るく雰囲気の良い学び舎へと変わっていくのだ。不安そうな若い子たちも心配しないで。人は言葉を交わせば仲良くなっていくもの。スピーチはそれにもってこいだし、君たち若人にもそんな人と人とのつながりが生まれていく素敵な瞬間を見てほしい。前の訓練校でもそうだったから絶対に大丈夫。
私は帰りの荷物をまとめつつまだ緊張感のあるみんなの様子を見て少し微笑みながら教室を出た。これからよろしくねみんな。今はこわばっているその表情が一日も早く打ち解けた笑顔になりますように…
そのとき誰かが先生に聞いていた。明日のスピーチ当番は誰ですかと。
「え?スピーチはありませんよ。」
え?