世の中にうまく合わせられない
あなたへ
- それでも生きるあなたへ BLOGS -
子供の頃から割と孤独だった。友達もいたし迫害されていたわけではないけどずーっと心の中に
(なんか違うんだよなぁ…。)
という分厚い透明の膜に覆われた得体の知れない不快感があった。共有ができないのだ。嬉しいことや楽しいことを分かち合うことができない。「他人様とチャンネルがずれている」と言った方が正しいのか要するに大人数でハイタッチしてイェーイ!みたいなノリができない。恥ずかしいとかじゃなく、冷めてしまうのだ。大人になり無理くり社会性を身につけていく中で多少マシになったとはいえこの癖は今でも消えず、コンサートに行っても微動だにせず仁王立ちで過ごしている。同行者からよく「なぜ踊らないのか?楽しくないのか?」と怪訝な顔で心配されるがちゃんと楽しんでいる。一音も漏らすことなく心で咀嚼するため真剣に耳を傾け、西川きよし師匠ばりに目を大きく見開き二度とないこの瞬間を瞼に焼き付けている。でもノリノリで踊らないのは多くの人からすると異常な事らしいのでコンサートはできるだけ一人で行くし、ライブハウスやクラブでも踊りたい皆様の邪魔にならないよう隅っこや奥の方からジッ…とステージを凝視している。むしろ「こんなに楽しいのになぜ踊らなくてはならないのか?」と主張したいところだが「楽しいなら普通踊るでしょ!」という常識論が地球の裏側から飛んでくるので何も言わないことにしている。
集中してる時に心以外なにも動かしたくないだけなんだけど。
普通常識で考えたら
当たり前田のクラッカーだろJK
今やJKとは「女子高生」を指すが20年以上前に今は亡き某大手ちゃんねるで使われていたこの言葉は
「常識で考えて」→「常考」→「JK」
という意味だった。もちろん女子高生という意味の「JK」も存在していたがそっちの発祥は出会い系サイトで、大っぴらに「女子高生」と書くとガイドラインに触れ削除されてしまうのでそれを回避するため「JK」という隠語を使っていたのが始まりである。なので当時を知っているわたくしからすると老いも若きも「JK」という言葉を気軽に使っている昨今の状況に違和感を拭えない。たとえば「うちのお母さんセクシーでカッコいいでしょ!」というニュアンスを
「うちのお母さんヒラヒラのパンパンみたいでしょ!」
と表現したら戦中派が眉を顰めるのと同じだ。JKJK軽はずみに口にすべきではないと私はこれからも警鐘を鳴らし続けたい。
で、なんの話だっけ?
あぁそうそう「普通」とか「常識」とか「無理」とかいうワードが子供の頃からとにかく嫌いだったという話。
普通そうなのかもしれんけど俺には必要ないし、常識ではそうかもしれんけど俺は無駄だと思うし、無理かどうかやってみなくちゃわからんし、でもそれを言うとまるで犯罪者のようにドン引きされてしまうのでいつしか説明するのをやめ、一人だけでもやってみて、邪魔が入ればプイっと学校を抜け出しそのまま帰宅する小学生だった。どうせ理解されないから関わるよりその環境を抜けた方が早かったのだ。これは今思うと我ながら気骨のある賢い子供さんだったと幼き勇者を讃えたい。40年以上生きてきて思うがそれができずに他人に合わせて苦しんでいる人は多いし、そもそも無理して他人に同調する必要はない。そこに幸せは無い。
さようなら我が師よ
保険代理店を退職してちょうど一年経ったが、社長が亡くなった。なんの前触れもなく急死だった。突如として彼はいなくなってしまった。旅に出ようとしていた俺を引き留め、当時の支店長と共謀して俺を食事会に誘い出し見事代理店に入社させた策士の彼だ。営業マンたるものかくあるべし。その見事な導線に改めて拍手を贈りたい。
彼は自信家で鼻っ柱が高く他人の意見を聞かない人だった。体調を崩してばかりの彼に俺や同僚が何度進言しても「自律神経だから。治らないから。」とわけのわからないことを言って無視していた。なので正直彼が亡くなって「ほらこうなったでしょ!」と怒鳴ってやりたかったが棺桶の中で安らかに寝ている彼を見るとそれも馬鹿らしくなり山ほどあった言いたいことがただただ涙となって溢れた。あなたらしいよまったく。
彼は一年前のちょうど今頃に俺の送別会を開いてくれたのだけど、これでやっと旅に出られるとウキウキだった俺にこんな送る言葉をくれた。
「正直送り出したい気持ちよりジェラスが強い。そんな風に自由気ままに生きてみたい。だけどできないから悔しい。」
全然送る気が無い。いやあんたのために5年間支えてきた俺に最後ジェラスかいと思ったがあまりに正直な彼の言葉に清々しさを感じた。曰く、生き方が違いすぎて真似したくてもできないと。
懐かしかった。そういやこういうこと多かった。俺がやりたいと思うことはいつだって他人がビックリするようなことで、羨ましがられるけど「じゃあキミもやったらいいじゃん!」と言うと必ず「いや~でも…」と濁されるのだ。そんな突拍子もないことを言ってるつもりはなく、その証拠に誰もが共感してくれるんだけど誰も行動に移さない、そんな不思議なことがよくあった。
みんなを行動に移させなかったのは何か?
それは「普通」や「常識」や「無理」だった。調子の良い時は「普通常識で考えたら無理。」と三位一体のハーモニーを奏でていた。他人の口から何度このワードを聞いただろうか。みんなそれを理由にできない、やらないと言っていた。自分がやりたいことより「普通」や「常識」や「無理」と生きていくそうだ。つまらない人生だと思う。俺も結婚してた時は家族のために自分を殺して普通に生きようと思っていたし、それが正解だと思っていた。でもそれは間違っていたし、事実その日々は人生で最もつまらなかった。「普通」という、自分ではない何者かの人生を生きようと思っても所詮は不可能なのだ。
社長は実は旅好きだった。どこか遠くへ行って車中泊でもしてそこにしかない美味しいものを食べてみたいと言っていた。じゃあ行けばいいじゃないですかと言っても「いやぁ~…」といつもどっちつかずの相槌を打っていた。仕事を整頓してスケジュールを調整すれば今週にでも行けたのに彼はやらなかった。やりたいことは理想であり、理想とは叶わぬものだからだそうだ。自分が望むものを最初から手の届かない場所に置くことに慣れすぎていたんだろう。とうとう彼は気ままな一人旅をすることなく眠ってしまった。
社長、あなたの体をせめてストレスのないどこか遠くの青空の下に連れてってあげてほしかったと俺は今でも思いますよ。でももうそれは伝えられないから、あなたの無念をせめて良い反面教師として、あなたへの感謝と尊敬と共に胸に抱いてこれからの人生の糧とさせてもらいます。ありがとうございました。ほんと言うとそのハゲ頭をひっぱたいてやりたいけどね。
幸せまでの道のりは最短で
好きなこと、やりたいこと、迷わず行けよ行けばわかるさの精神で欲張って最速最短で爆進してほしい。自分が求めていることを実現させるのは自分。あなたのためにあなたが動いてあげてほしい。でないと結婚してた時の俺や、一人旅を実現できなかった社長のように諦めることに慣れてしまうからだ。「いいな~」とか「うらやましいな~」と言うだけで何もしない人間になってしまうからだ。
そんなん嫌じゃない?
何に対して遠慮してるの?誰に対してへりくだってるの?その結果泣くのは自分だけ。誰も助けてくれないし、誰も幸せにならないよ。
俺は離婚して目を覚ましたが、このたび社長が亡くなったのを受けてさらに思いを強くした…
"好きに生きなきゃ損である"と!!!
結果失敗しても努力して挽回すればいいし、失敗を恐れて普通に生きても失敗する時ゃするし(俺みたいに)、「普通に無難に平均的に~」なんて考えるだけ無駄。そもそもその「普通」て何なのよ?なんとなくそれが王道で道を踏み外してない"っぽい"と思い込んでるだけだろ?なんの保証も無いんだそんなもんには。
自分を押し殺すより尊重して生きた方がおもしろいし得。これは間違いない。大人になりたくさんの人や先輩方と出会って確信したが、我慢とは美徳ではない。ただの毒です。そんなことよりあなたの好きなことにあなたの体を動かして人生の血行を良くしてほしい。そのためにする努力を惜しまないでほしい。それが「普通」や「常識」でなくても関係ないやん。
やる前から「無理」と決めつけてどうするのか?
世の中と違うからなんだというのか?
気にすんなそんな無意味なことは。自分より大多数に合わせて生きるのが正しいなんて馬鹿な話があるか。明日生きてるとは限らないんだよ、うちの社長が教えてくれたように。
あなたはあなたがやりたいことまず手の届かない場所に置く癖はないだろうか?「叶わないから夢なのだ。」とかよくある言い訳をして夢を叶えるための努力を1mmもしない人間になってはいないだろうか?その結果「休日はちょっと遠くへドライブへ行きたいな。」という自分自身のささやかな願いすら叶えられない人になっていないだろうか?
あなたはどうかそんな風に、うちの社長や結婚してた時の俺のようにならずにあなた自身を大切にしてあげてほしい。あなたの心が、体が、素直に「いいな」と感じることこそ、あなたが優先して進むべき未来の方向なのだと思うよ。だから世の中にうまく合わせられなくても気にしなくていい。自然体であなたの進みたい方に向かっていけばいいし、必ずそこに正解はあるよ。
昔ダウンタウンの松っちゃんが浜ちゃんに言っていた。
「お前がクリームパンになりたいと思ったらなれんねん!絶対に!絶対にやねん!だから俺はお前がクリームパンになる夢を諦めてほしないねん!」
さすがにクリームパンは無理だと思う。